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ヴァン・マッコイ バイオグラフィー  

(前回からの続き)

ヴァン・マッコイの生い立ちと経歴

吉岡氏のライナーには1944年1月6日生まれとあるが、ウィキペディアをはじめネットでは1940年生まれとしている記事を多く見かける。真実は分からない。どちらにしろマッコイはワシントンDCで生まれた。4歳の頃からピアノを習いはじめた。12歳で初めて作曲をした。ハイスクールに入ると歌を歌うようになった。ハイスクール時代、スターライターズというグループに参加し、レコーディングを経験した。歌手として参加したのか、楽器を担当したのか、作曲・アレンジを担当したのかは分からない。スターライターズは、ジョージ・ゴールドナーという人物が持つエンド・レコードというレーベルからシングルを3枚発売した。『バードランド』(58年)、『アイ・クライド』(59年)、『ア・ストーリー・オブ・ラブ』(60年)である。どれも全国的なヒットには至らなかった。

ハイスクール卒業後、ワシントンDCのハワード大学へ進学。心理学を先行する。しかし、音楽の世界が忘れられず、大学2年のときに退学もしくは休学。親戚を頼ってフィラデルフィアへ移り住み、音楽活動を始める。ヴァン・マッコイの叔父は音楽業界の人間だった。叔父と共に“ロッキング・レコード”というレーベルを設立した。ヴァン・マッコイはこのレーベルから『ヘイ・ミスターDJ』という曲でソロデビューした。この曲はヴァンが作曲し、ボーカルもヴァンが担当した。この曲はヴァンによれば「スムースなイージー・リスニング・タイプのレコード」だそうだ。また、ヴァンの姉妹と結婚し、義理の兄となった人間にジョッコ・ヘンダーソンがいた。ジョッコは東海岸では有名なラジオDJだった。『ヘイ・ミスターDJ』はジョッコの協力もあり、イースト・コーストではちょっとした話題を集めることとなった。そうして『ヘイ・ミスターDJ』はニューヨークのセプター・レコードの目に留まった。そしてセプターより全米配信された。そしてこれがきっかけでヴァン・マッコイはセプターにて、アシスタント・プロデューサーのような仕事を得た。

ヴァン・マッコイは、チャック・ジャクソン、シュレルズなどを手がけたR&Bプロデューサー、ルーサー・ディクソン(Luther Dixon)のアシスタントとして働いた。約1年後、次は作曲家/プロデューサーのリーバー&ストーラー(Jerry Leiber and Mike Stoller)から専属ソングライターにならないかと誘われ、これを受けた。これでセプターの下は離れたものと思われる。リーバー&ストーラーの下でドリフターズなどの仕事を手がけた。

1963年、コロンビア・レコードと契約し、初めてアルバムを発表した。『NIGHT TIME IS LONELY TIME』(COLUMBIA 9297-CIRCA 1963)である。イージー・リスニング的なアルバムで、ヴァンが歌っている。しかしこのアルバムは全くヒットしなかった。

1964年、プロデューサーとしてはそこそこ成功していたヴァン・マッコイはラリー・マックスウェルの持つマックス・レコードなどで仕事をするようになった。ここでは当時まだピップスと名乗っていたグラディス・ナイト&ピップス(Gladys Knight & The Pips)を手がける。ヴァンが初めて手掛けたグラディスたちの曲は『ギヴィング・アップ』だった。

Giving Up - Gladys Knight and the Pips - HQ


この曲は1964年5月から全米でヒットした。ポップ・チャートで最高38位を記録した。ヴァンは作曲とプロデュースを担当した。まだアレンジは自分で出来なかったので、自分とは別のアレンジャーを雇ってセッションを行った。この頃一緒に仕事をしたアレンジャーであるティーチョー・ウイルシャー(Teacho Wiltshire)、ゲイリー・シャーマン(Garry Sherman)からヴァンは多くのことを学んだと後日話している。

その後、コロンビア傘下のブラックウッド・ミュージックという音楽出版社のスタッフ・ライターとなる。ここで白人ポップ・アーティストのプロデュースを手がけることとなる。ジェイ&アメリカンズ(Jay & The Americans)、チャッド&ジェレミー(Chad & Jeremy.)などである。「当時から黒人ものにこだわることはなかった」とヴァンは後に語っている。65年、チャッド&ジェレミーの『ビフォー&アフター』がポップ・チャートで最高17位を記録する。

Before And After - Chad and Jeremy


また、バート・バーンズという業界人の紹介でR&Bシンガーであるバーバラ・ルイス(Barbara Lewis)とも仕事をすることになる。そしてヴァンが作曲した『ベイビー・アイム・ユアーズ』は65年6月からヒットし、ソウル・チャートで最高5位、ポップ・チャートでも最高11位を記録した。ヴァンにとって初のミリオン・セラーとなった。

Barbara Lewis -- Baby I'm Yours


(この続きはまた機会がある時に)
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